MOON PHASE 雑記

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「CLANNAD」第20話

渚が演じたい劇とは、タイトルも作者も何もかもが不詳な、終わった世界にたった一人残された女の子の物語。渚が語る大まかな内容は、まさに度々挿入される幻想世界そのもの。親から聞いたわけでもなく、絵本などで読んだわけでもないことをなぜ渚は知っているのか?それは、幼少期に渚が死の淵を彷徨った際、渚が助かるきっかけとして、幻想世界と渚の間とで何かが成されたのではないかと想像するのは容易い。でも、これだ!と言う決定的な証拠がまだ足りない。朋也=幻想世界のガラクタ人形と考えれば、朋也の記憶に残ってる理由になるけど、なんで朋也が姿を変えて幻想世界にいたのかは謎のままだしね。基本的に1本道で精神輪廻をしてないアニメ版の朋也が幻想世界の記憶を持ってるのは不思議だけど。既に一度、汐エンドまで到達してるとか言う設定?それとも、風子やことみの時に得た光の玉から、時間を超越した幻想世界から未来の記憶を引き継いだとか?自分の夢を捨て、渚に全てを捧げる決意をした2人の努力よって今の古河家があった。自分とは違う、普通の家庭だと思っていた古河家も、辛い過去を背負っていて、それを乗り越えてきた。たった1人の父親との関係すら満足に修復できない半端者の自分には、そんな古河家の関係に土足で踏み込んで良い資格なんてないのだと、勝手に自己完結して、春原に説教くらう朋也カッコ悪い。春原の忠告が的確すぎて驚愕。サッカーのことをいつまでも引き摺って腐ってなければ、普通にモテてるよなあ、こいつ。策士ゆきねぇの占い作戦と春原の後押しもあって、ようやく重い腰を上げて、古河家を受け入れる事を選んだ朋也。二世帯夫婦みたいな草野球でのやり取りを見れば、渚の気持ちを疑って逃げる必要もないはず。あとは気持ちを言葉にして伝えるだけだ。

「H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜」第10話

 僕が見てきた全ての物。
 僕が出会った全ての人。
 僕が信じた全ての嘘。
 僕が戦ってきた全ての自分。
 …全てはあの闇の中に。
そして振り出しに戻…る?何が真実で何が虚構なのかわからなくなってきました。もしかしたら、とんでもない思い違いをしてるのかもしれない。これで第1話のアバンに繋がるワケか。はやみがフルボッコされてる衝撃的な始まりは、はやみと琢磨が出会う前の状況として見せておきながら、実は、恋仲になったはずのはやみと琢磨の関係に亀裂が入った後の出来事を捉えてたんだね。それを念頭に置いて振り返ると、そこに『THE FOOTPRINTS IN THE SAND - 砂の上の足跡』の詩の一節を2人のモノローグで被らせた意味の重要性が良くわかる。詩の中で、“なぜあなたは私を見捨てられたのですか?”と言う神への問いかけに対する答えが示しているように、ここから綺麗にハッピーエンドにもっていければ拍手喝采なんだけどなあ。Aパートのラブラブ同棲生活と、Bパートの鬱展開との落差が凄い。久々に残酷な青春グラフィティらしい雰囲気に戻ったよ。カエルを捕獲してきて調理するたくましさを持ちながらも、文明の利器の使い方はわからなくてアタフタしてるはやみが微笑ましい。小動物チックな仕草は、どちらかと言うとほたるの十八番なんだが(笑)。鈴を付けて登校する時点で先が見えたけど、2人が冷やかされてる脇で沈んでるゆい様に誰か救いの手を(笑)。順調に仲を深めていく2人に水を差すのは、やはり神楽爺さん。琢磨の母を自殺に追い込んだ原因は小日向家だと告げる。原作だと母の自殺の真相は、両親が精神的に追い詰めてられてる原因は呪われた目を持って生まれてきた自分のせいだと考えて、自分がいなくなれば両親を助けられるとして踏切に飛び込み自殺を図った琢磨を、身を挺して守った結果、琢磨の目の前で母は死に、それを信じたくなかった琢磨は記憶を閉ざしたと言う事だったんだけど、アニメ版は叔父さんが認めてしまったので、原作とは違い、本当に小日向家に追い詰められて自殺したって事か?でも、琢磨が踏切のシーンを夢に見ているのが気になるので、まだ断言できないな。今まで散々一族や村の掟なんて関係ないと引っ張ってきた琢磨が、いざ自分が被害者だと知ると、はやみの手を離してしまうのは、偽善者っぷりが露呈しただけで悲惨。ここで琢磨がトラウマを乗り越えられなければ、もう大丈夫だと信じてくれた音羽の想いも、琢磨を幸せにして欲しいとはやみに託したほたるの心も、全て水の泡だぜ?