MOON PHASE 雑記

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「CLANNAD」第22話

CLANNAD」は人生。…などと言われる要因となってる“アフターストーリー”という名の本編まで進むことはなく、渚ルートのプロローグがようやく終わった形で第一部(?)完。風子編やことみ編のように大きな動きがないので、平凡で薄いラブストーリーと言う印象しか残らないんじゃないかな、これだと。自分を含め、大半の視聴者の気持ちを一言で表すなら、“物足りない”になるんだろうなあ。両親の夢を奪ってまで自分の夢を叶えようとしていた自分自身を責めるように、どんどん深みに填っていく渚。渚を信じる朋也の想いも虚しく、舞台で泣き出してしまう渚。幕を下ろすか否か朋也に決断を迫られたその時、颯爽と現れ、夢を無くしたんじゃない、渚が夢を叶えてくれることが夢になったんだ、それが親というモノなんだー!!!と格好良い主人公になってしまった秋生さんの叫びと、俺たちが叶えられなかった夢を叶えてくれ、俺たちのやってきたことを無駄にしないでくれと追随する朋也の言葉を受けて、土壇場で渚復活。幻想物語の続きも思い出しましたよ。熱血ドラマをやってるんだけど、部外者そっちのけで展開してるので、あれで渚が復活して一人芝居を再開しても白けるだけのような。微妙な空気になったのは、だんご大家族を歌ったからだけではない、と思う(笑)。朋也が書いた日直の名前が結果的に雰囲気作りに貢献して、夕日の入射光を浴びながら、ついに告白。これにてハッピーエンド?いやいやいやいや、幻想世界の少女も、光の玉も、ガラクタ人形も、朋也のデジャビュも、朋也と父親との関係も、オープニングに出てる女の子も、渚の病弱設定も、色々投げっぱなしで消化不良も良いところ。次回は、夏休み番外編…草野球じゃなくて、春原エンドなの!?朋也と渚が付き合ってる状態なのか、本編とまるで関係ないパラレルお遊び回なのか、それが問題だ。

「H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜」第12話

結局、琢磨は最後まで良いところ無しじゃないか。幼児退行プレイのインパクトは強烈だったが(笑)。はやみ死亡と復活は蛇足だったとしか思えないなあ。ここに辿り着くまでの情景が陳腐になる。『砂の上の足跡』の詩にある足跡が1人分しか無い時を、はやみの消失によって、琢磨がはやみを背負って歩いていたのだと示したかったんだろうけどさ。まあ、音羽が去ったタイミングで一瞬音が途切れて、サビと同時にはやみと再会するシーンの美しさは際立っていて、ちょっと息を呑んだのも確かけど、オーラス曲『FOOTPRINTS IN THE SAND』と演出に助けられて誤魔化されただけのような気がするんだぜ…?遺書みたいに読まれていたはやみの日記は、あの廃ゴンドラから出てきたと言うことは、琢磨を傷付けたと思って、祭の日に琢磨をほたるに任せようとする前に書いた物だよね。再会したはやみが、あの鈴を付けたチョーカーをしていたのは、琢磨に託された想いが消えることなくずっと続いていた証拠として綺麗に繋がったのは良かった。曲解せずに音羽の言葉を真に受けるならば、精霊会議でどうにかして、はやみは生き返れたと解釈するのが妥当なんだろうけど、目が見えていたのは琢磨の思い込みだったこととかを考えると、はやみは精霊になって琢磨の側に戻ってきただけで、最後のシーンのあの風車がはやみの墓標のようにも見えてしまう。あの音羽は、前世の記憶を持ったまま転生したひなたなのか?音羽を呼んでたのは、復活はやみじゃなかったみたいだし。もしかしたら、はやみが電車に轢かれたのすら、音羽が見せた幻影だったのかも知れない。ようするに、視聴者の好きなように受け取って欲しいエピローグにしたかったのかなあ?そもそも、琢磨が真実を思い出せても、目の前ではやみの轢死体を見てしまったら、助けられなかった自分に絶望してまた発狂するかトラウマになるんじゃないか?琢磨が全てを受け入れるための儀式として、母親が自殺したと思っていたシーンを再現する必要があったと言う意図はわかるんだけど、はやみが電車に轢かれる前に、琢磨が記憶を取り戻してはやみを救い出さなければ意味がないのに。失敗を繰り返させてどうするんだ。あと、爺さんの問題が警察の介入であっさり解決してしまったのも拍子抜け。ただ単に、爺さんの悪行を訴える勇気を持った村民が今までいなかっただけなのかよ。ほたるが村長になってると言うことは、最低でも25歳以上なわけで、12〜13年後ぐらい?はまじがあの容姿のまま真紀に仕込んでたのはビックリだ。まあ、√aaaでもあの2人はヤってたから想定の範囲内。モヤモヤが残ったので、琢磨とはやみのラブラブ同棲生活にほたるとゆい様が乱入する、原作のはやみATO-GAME並に悶え転げるような後日談を希望したいんですが。